期待の新人監督スカラシップ 保谷聖耀監督作品
宇宙人の画家

コメント

『宇宙人の画家』をご鑑賞いただいた方々からのコメント

※ 本編ネタバレを含むコメントほど下部に配置していますので、
まだご鑑賞いただいていない方は読み進みにご注意ください。

会田誠(美術家)

保谷監督本人が描いた、微妙に上手くて微妙に下手な絵(アニメーション)が良いですね。それがだんだん増えてくるラストは、破れかぶれでありながら、あくまでも志は高く、爽快感がありました。 保谷監督、いわゆる「可能性は無限大」な人ですね。

小野耕世(映画評論家)

「宇宙人の画家」を絶賛したい!
まず、日本でこのようなスケールの大きい奇想天外な映画を作る監督が存在することに驚いた。内容はアニメと実写、カラーとモノクロ、場面の混合に違和感がなく、マンガのようで、それでいてそれをしのぐ迫力に圧倒された。

木澤佐登志(文筆家)

映画とアニメーションと漫画とが相互にそれぞれの境界を侵犯し合い、虚構が現実を食い破る。テイヤール・ド・シャルダンのオメガ点と石原莞爾の世界最終戦論と中学生の妄想とセカイ系と呂布カルマのラップとが混然一体となりながら、中学校のカースト争いは弥勒菩薩的コズミック・ヴィジョンへと次元上昇する。東亜新秩序なんてみみっちい。目指すは宇宙新秩序だ。くだらない既成概念も気に入らない奴らも、まとめて窓から全部放り投げろ!

石黒正数(漫画家)

不穏で不安な裏日本なれど不思議と一市民として暮らしたい思いに駆られてしまう。その明確な理由がまさか作中で突きつけられるとは、ひっくり返る。世界も俺も。
かつて舞台演劇に通い、コアな映画のDVDを買い漁り渇望していた「あの味」がする。

石原正晴(SuiseiNoboAz)

本当に恐ろしいのは「抑圧」でも「退屈」でもなく、「この現実の現実感の無さ」だ。
キレた虚構は白昼夢のように露光した現実を軽々と突破し塗り替えていく。
スパイv.s.ラッパーも宇宙を進む観音像も呂布カルマの光る目も、マジでありそうで笑えない。
夜中にひとりで見なきゃよかった。

岩沢房代(ライター)

たしかに光は見えた。宇宙人の画家とは光の画家。善き光、悪しき光、虚無の光、警告の光、真理の光。しかしここはどうしてもピカドンだ。あのアニメーションに日本人なら”被爆“を思い出す。悪人を滅ぼすとはいえ、達磨光現器も兵器である。あれば必ず使いたくなるのが兵器というものだ。大観音像のかすめるように飛ぶ飛行機は、3.11の悪夢である。小動物や植物、自然へのまなざしに諸行無常を感じます。ダークな大林宣彦か、とふと思いました。

若島正(年金生活者、詰将棋作家、チェスプロブレム作家、翻訳家、京都大学名誉教授)

誰が呼んだか、「少年少女空想科学活劇映画」とは言い得て妙。映画には放電が必要だというのは稲生平太郎氏の理論の一つだが、本作はその説の正しさを証明する一作であり、いわば「光」物のサブジャンルである「光る眼」物に属していて、さらにここではダルマが光を発するのだから、これ以上何を望もうか。この映画の眩しさに不意打ちされた人々は、きっと目を輝かせることだろう。

花くまゆうさく(漫画家)

年取って初期衝動が薄れつつある身には、眩しく輝いて見える初期衝動の塊のような映画でした。新鮮に感じる映画表現も多く、大変刺激を受けました。

長嶌寛幸(音楽家)

続々と湧き出す疑問符を置いてきぼりにして、この映画は突き進む。しかしもはや、映画に「解決」など「もう、どうでもいいコト」だと思うネ。「登場人物の誰もが主役であり、脇役でありうる」というコトも含め、「21世紀も20年経てば、こんな映画が出てくるんだなぁ」と思った。久しぶりに「観終わってモヤモヤする映画」、私には。

中山市朗(作家、怪異蒐集家、オカルト研究家)

大変シュールでなんか脳みそが付いていけない部分があるのですが、この映画はジャンルとしては「少年少女空想科学活劇映画」ということで、いろんな要素で映画は構築されておりました。要は、観音様の救いの光が重要なテーマで、加賀市の巨大観音像が象徴的に画面に出てきます。最後は世界の浄化となります……。
監督の名に耀という文字がありますが、それですわ。テーマは。

大阪府 20代 男性

宇宙人の画家ってカルト的な一面がフューチャーされがちなんだろうけど、ポエジーの抜き取り方が上手いと思った。そして、ある種の虚構、または仏教的に言えば無とか幻それに囚われてる人々。虚無ダルマなんかも少年からしたら唯一の救済であって、彼らはそれを害されたから戦っている。

誰もが自身の救済を守るために戦っていて、そのために誰かを傷つけてしまってる。仏像の光で消えるのは善人以外って言ってたけど、それは彼らが無とか幻を追うあまりに、その実態(思想、生き方)が無や幻になってしまってたから、眩しすぎる光で消えたのかなと思った。
あと、全然違うようかもだけど、最近観たタルコフスキーのノスタルジアに近いなって思った。

京都府 60代 女性

正直、途中で、来ない方が良かったかもとか何度か思いましたが、時々に映される綺麗な映像も有り内臓が揺さぶられる感じでした。
最後にサチさんが、可愛らしく自然な笑顔で走る姿にホッとして、ナレーションを聞いた途端に、どういうわけか自然に涙が溢れて大変でした。
呂布カルマさんの一曲目が終わる頃に、やっと涙が止まりました。
監督さんが、中高生にお薦めだったみたいなので、私の魂レベルもその辺りだったのかなって思いました。
無意識に蓋をしていた心のどこかで、その蓋を開けて貰ったような気がしました。
これから始まる新しい時代に、是非沢山の方に観て頂きたいですね。

大阪府 30代 男性

現実と似て非なる世界を味わえる。
町内放送風に呂布さんのフリースタイルが流れる日常の描写が妙にリアリティがあってイイ。呂布さんの登場シーンは現実世界での呂布さんのカリスマ性がよく生かされていて、もっと演技を見てみたい。
某世界的日本人コメディアン映画監督の893もの作品のパロディのようなシーンもシュールかつ確信犯的で笑えた。
後半の少年少女たちのシーンは人物の顔をなかなか覚えられず関係性を把握しにくかったが、全体的に無駄な台詞もなくセンスのいいカメラワークと演出に語らせていて世界観に没入できた。

大阪府 40代 女性

話全体は、ぶっ飛んでましたけど、いいもの見たなーという感想です。
心に残るシーンが一杯ありました。

埼玉県 10代 女性

素敵な映画ありがとうございました!
ポスターから魅力を感じ今回は見させて頂きました。最初のミステリアスな雰囲気から始まりどんどん引き込まれ圧倒されました。呂布カルマさんのラップが凄くて私自身もノリノリになりました。

私は14歳です。過去にいじめを経験しており今回の映画と繋がりがあるなと思いながら鑑賞しました。また後半モノクロで描かれていて私が体験できなかった青春を感じられました。上手くまとめられませんが幸せな時間でした。ありがとうございました。

東京都 10代 男性

これほど珍妙キテレツな作品はないと思います。
独特の台詞回しは最高でした。

京都府 20代 男性

リアルとフィクションが混ざり合い、イジメを受けている少年の空想が世界を大きく変えてしまうという奇天烈でエッジの効いた作品でとても面白く感じました。
監督の次回作に非常に期待しています。

大阪府 50代 男性

もしかしたらこれは新世紀の『幻の湖』なのではないか?

東京都 50代 女性

哲学的かつ、仏教の概念としての善と悪。
謎の光によって悪の駆逐を試みる発想はキテレツではあるが究極の理想を追い求めた映画だと感じた。見る人によってあらゆる解釈が生まれる希有な映画ができあがったのではないでしょうか。

ネルケ無方(禅僧、元・安泰寺住職)

山田花子に花輪和一を足して、二で割っていない感じ?花子も和一も、私は好き。

稲羽白菟(推理作家)

これは観ないといけないと思った直感は正しかった。ポスターからは昨今流行の「気の利いたインディペンデント映画」な雰囲気漂うが、次元が違う。

ただ、これは語れば語るに落ちる、観る事に意味のある蜃気楼の様な映画なので、あまり多く語る事は出来ない。なので、あえて雑な喩えで感想を言うなら「アピチャッポンが撮った『去年マリエンバートで』をセンス良い編集と映像技術で丁寧に仕上げた様な映画」あるいは「昔深夜映画で途中から観て独特なセンスが妙に心に引っ掛かっているんだけど、詳細が判らずに何だかよく解らないままになっている映画」とでもいう印象だろうか。現代アートというのは理知的な「語り」がなくてはならない、しかし、語り尽くせてしまう程度ではいけない(だからこそアートを創造する意味がある)──と僕は常々思っているけれど、この映画はまさにそんな、意欲的な現代アートの一表現と評するに相応しい作品。カラーパート、モノクロパート、全ての画面、動きに「駄目な絵」がほとんどなく、さりげないながらも繊細な工夫と洗練された映像美学が通底している。この品質は驚異的なレベル。カンヌやベネチアに出品されてアピチャッポンと並んだとしても全く違和感はない。(しかし前述の様に「語る事が出来ない」映画なので、それは実現しないだろう)同じく、気の利いたインディペンデント作品を好む映画ファンの口コミで流行る様な作でもないので(むしろそういった向きには「期待外れ」と映るかもしれない)、上映大拡大の可能性は低いかもしれないが、ぬるい映画に飽き飽きした、アート好みの方は機会があれば是非観て下さい。これは超お薦めです。

神奈川県 10代 男性

もともと稲生平太郎さんの著作「何かが空を飛んでいる」において稲生さんがUFO関連の意味で光による宗教体験の話をされていた点に興味があり、本作の予告編でも稲生さんが何やら「ダルマ光」の話をされていたので興味深く鑑賞しました…!

本作はまさに「光の出現がリアリティを崩壊させる。あるいはリアリティの崩壊は光の出現を要請する」映画!同時に、ある登場人物の主観のリアリティが交錯する映画でもあり困惑させられますが、中学生の鬱屈とした精神世界はこうでなくっちゃと心に刺さる部分でした。暗黒の青春を乗り越えるためにはリアリティを崩壊させるしかねえよな…!!

大阪府 40代 女性

監督のことははじめて知りました。呂布カルマさんだったり、シソンヌじろうさんが出演されているということでどんなもんかといった感じで見に行きました。

なにを見せられてるんやろみたいな感じながら、あっというまの2時間でした。 呂布さんが虚無ダルマでありながらも、呂布さんであるのが、ファンとしては嬉しかったです。そうなると、じろうさんもコントではみられないとこまで鬼畜ぷりをみれてよかったです。

たぶん多くの人が一度くらい、悪いやつみんな消えてまえとか、特にいじめられたりつらい経験があればきっとクラスのみんなおらんようなれとか、先生にはらたったり。

なんかそんな妄想みたいなんがアニメになったり、実写になったり。 そんなかに戦争の暗い歴史がまぎれてきたり。それも自分があの時代に生きてたらとか思わなくもなかったり。ないないがわりとあるあるやったりするのかなと、時間がたった今、思いました。いい2時間と余韻をありがとうございました!
これからのご活躍たのしみにしています◎

京都府 10代 男性

ボケナス中学生の生意気な感想です、どうかご了承くださいませ…。
まず、前半は内容がめちゃくちゃ分かりにくいです。
気分的には「おー、おー?おー…(全くわかってないやつ)でした。 前半は完全に置いてかれてました。ちなみにジョージ渡邊に向かって学生が銃を撃つシーンは
「こいつらサイコだし、シュール過ぎだろ(ここはまじくそワロタ)」
ただ、後半(特にモノクロシーンが始まってから)色々と理解しました。(うん、まあ色々) 虚無ダルマが大体解ってくるんですが、最初の虚無ダルマ(多分)が車で事故るシーンは一体何だったのでしょう…(理解力なくてすいません)。
ラストシーンですね、なんで浄化されねぇんだよ!って奴が何人かいましたが、置いときまして …。まあ僕的にはあのラストはバッドエンドな気がします。
ああいう幸せな社会も多数の犠牲の上に成り立つ、ということを感じました。
とにかく、面白かって見応えのある映画でした!!!
ありがとうございましたぁぁ!!

東京都 50代 男性

虚無ダルマが巨大観音像の足元で歌うラップ、呪いのように響く生徒会長のピアノ、老人の語る古代史、うさんくさい弁護士のむなしい語り、凄絶な拷問シーン、暗がりの中で襲われた美少女を見つめる冷たい視線……鑑賞後数日たって、印象的な場面が何度も頭の中でよみがえります。果てしない虚無とディストピアの中で、いつになったらダルマ光がすべてを焼き尽くしてくれるんだろうと待ち望んでいたので、ついにダルマ光が放たれた瞬間にはカタルシスを感じました。

中学生たちの「虚無的」な演技もよかったです。次作に期待します。

神奈川県 40代 女性

あえて事前情報は直前まで頭に入れず来ました。
シートに座り、初めて作品のサイトを見て、K市が金沢だったらウケるなと思っていたら、出てきた車のナンバーが…!
わたし、元々は石川県民だったので愛する金沢を、素晴らしく料理してもらえてることに喜びを覚えました。映画は好きですが、よくある「全国ロードショー」的な物ばかりを観ていたので、いい意味で剪定されてなく、K市の臭いがしそうな感じで、魅入ってしまいました。
そして、普段は全く思わないのですが、この映画、出演したかったな…という変な嫉妬も生まれました。ただの会社員なのに。
多分、何か文字にできない、エネルギーを勝手に受け取ってしまったのだと思います。
とりあえず、また観たいです。

アーサー竹原(ロッキー・ホラー・ショーFAN CLUB “LIP’S”会長)

パワフルな粗さ、歪さを楽しむたぐいの作品と予想していたので、「米国のスパイ、ジョージ・ワタナベは・・・」という強引な説明カットあたりまでは、“こういう感じ”か、と納得していました。

ところが実際は、粗さはあれど全く大味ではなく、内輪ノリの“こういう感じ”を強要してこない姿勢が非常に尊い作品と感じました。 改めて振り返ってみると、オープニングで使われている、字間が極端にタイトなタイポからして、ディテールへの気配りが滲み出ていますよね。あれカッコよかったです。

タイトつながりで行くと、人物の台詞にダルさがないのも魅力でした。演技が達者でないキャストの場面でも場が崩壊しないのは、台本の力かなと思います。サチの告白は少し長いように感じましたが、転校生の子と詩の話をするシーンがあったので、どこか詩の朗読のように聞くことができました。

勝手な期待として、この作品を全3話にしたテレビエディット版が見たいです。「虚無ダルマ」の種明かしがもう少し手前にあって、第1話がコウスケの手元で終わるとか。深夜の地上波で3夜連続放送したら絶対に面白い!

東京都 50代 女性

観終わって、うっすらとした恐怖が残りました。
中学生(という得体の知れない存在)が恐ろしかったのかもしれません。モノクロだからよけいにそう感じたのかな。

凄惨ないじめの中心人物、またそれに加担する子達も恐ろしいですし、あのマンガを描いていた子や友達の想像(創造)力も行動も、とっても恐い。女の子の幼い嫉妬心も恐い。とてつもない陰のエネルギーがありますよね。中学生って。
自分も中学生だったことがあるけれども、自覚していなかっただけでああいったエネルギー、恐さを持ち合わせていたのではないかとも考えました。

最後、イラストのアニメーションになりましたけれども、その絵柄の幼さの中にもやっぱり不気味な恐ろしさが見えました。彼らのたまりにたまったエネルギーが、爆弾のようなもの(光なのかな?)になって爆発していったように思いました。

まったく話は変わりますが、つなぎをきた凶悪な兄弟、いちろうとじろうが大好きです。言動はバカっぽいしやることなすこと凶悪なのに、兄が弟をかわいがり、弟も兄を大好きそうなところとか、非常に愛らしかったです。ふたりの最期もとっても好きです(大迫さんとシソンヌじろうさんは、本当にはまり役でした)。

丸山靖博(プロデューサー、株式会社ロボット コンテンツ本部長)

カナザワ映画祭印の時点でどんなカルト映画なんだろうかと思っていましたが、素晴らしい青春映画でした。思春期に感じる挫折、嫉妬、スクールカースト、いじめ、優生思想、そして失恋。世界なんて滅びてしまえば良い、あるいは愛する人以外は死んでしまって構わない。そんな自己の救済を漫画に託し世界の破壊を願ういじめられっ子の少年の心情にシンクロした瞬間、心掴まれました。中高生にはリアルであり、おじさんには甘酸っぱい青春映画。見終わって直ぐに思ったのは、『天気の子』と大林宣彦の『おかしな二人』でした。

良かった点はメタ構造の使い方が上手い。前半のカラーパートのスリリングな導入から物語の確信に迫るモノクロパートのナイーブな演出。特に、結果的にそうなったのかもしれないが、子供達のセリフ棒読みが効果的だった。後半のスチール構成はアクションを効果的に見せていたし、自然の風景のインサートはこの映画世界の時間軸含めた壮大さを伝えていた。そしてカラーパートに戻りアクションシーンで一気にボルテージをあげ、アニメーションで描くカオスなクライマックス。アニメ表現になった瞬間、一瞬予算の関係かと疑いましたが、これはいじめられっ子が漫画に託した自己救済の表現だと気付き、納得し驚かされました。

とはいえ、演出という意味ではまだまだなので、たくさん学んで下さい。
なぜこの構図なのか、なぜこのレンズなのか、なぜこのカメラの動きなのか、なぜこの目線なのか、このカットで伝えるべき事は何で、それを一番効果的に伝えるためのベストはなんなのか、映画はカットの積み重ねです。その先には観客の心を誘導し、時にはミスリードし弄ぶ。そういうことを突き詰めて考える事をお勧めします。
ですが、ここまでのものを作りあげる力は素晴らしいと思います。
20年後、宇宙人の画家のセルフリメイクを是非観たいですね。

武田崇元(秘教学研究家、霊的ボリシェヴィキ提唱者、雑誌「ムー」創刊顧問、八幡書店社主)

カラーとモノトーンで描かれる入れ子構造の二つの世界。
呪縛的ラップによってK市を支配する虚無ダルマ。虚無ダルマとは虚無の法。総破壊への衝動を秘めた暗黒啓蒙。かたや天才的ピアノ演奏によって取り巻きを呪縛し陰湿な支配を貫徹する生徒会長。そこにあるのは虚無ではなく偽善。このラップとピアノの対比がカラーとモノトーンの対比に彩りを添える。

カラー/空想世界、モノクロ/現実世界という設定であるが、現実世界が脱色されているのは現実世界は現実そのものではなく感覚器官を通して再編された経験的虚像であり、空想世界のほうが無意識に根差したリアルな世界だということを暗示する。実際、この二つの世界は謎の白系ロシア画家(宇宙人の画家?)の末裔丸山によって侵犯され、さらに現実世界のいじめられっ子が武装し逆襲に蹶起することによって融合しはじめる。

天空高く聳える巨大観音像はファルスであると同時に、赤子を抱く母性という二重性を秘めている。捕獲した敵に対する凶暴な兄弟によるファルス切断。このシーンはモノクロ世界の少年の絵でもクローズアップされ、まもなく訪れる大破局を予兆させる。

米軍の無差別爆撃によって現出した地獄絵巻のなか、赤子を抱くファルスはいったん静かに倒れるが、ダルマ光源器と一体化し再び勃起すると、宇宙軌道にまで達し、全世界に浄化の光を放つ。ラッパー呂布、『阿吽』の渡邊邦彦に加え、畏友横山茂雄の地のままの怪演が光る約2時間はあっというまの黙示録的パンク夢幻能。

京都府 40代 男性

大変楽しく拝見しました。最初はカラーの世界が妄想で、とモノクロの世界が現実であることに気がついていませんでしたが、主人公の漫画で描く妄想世界が最後に現実世界に浸出して融合する、それがアニメーションで表現されるというラストシーンは素晴らしかったです。その浸出・融合がさらに分かりやすく展開されると、なお印象的であったと思います。また、モノクローム・シーンの中学生の幼い残酷さや、生徒会長を代表とする偽善、独善、それこそ中二病的世界観の脆さは岩井俊二監督の『リリィ・シュシュすべて』を思い出しましたが、自分達が中学生であった時に考えていたことを思い出した際に、その恥ずかしさを照らし出すようなリアリティでさらにステレオタイプに強調して描いてもよかったと思いました。なお、自分は呂布000カルマのファンでこの映画を知ったのですが、本部でのラップのシーンや最後のライブシーンは単純にかっこよかったです。また観にいきたいと思います。楽しい映画をありがとうございました。次回作を楽しみにしています。

千葉県 30代 男性

壮大なスケールで描かれる2つの世界の融合、楽しませていただきました。他の作品の名前を出して不快に思われたら申し訳ないのですが、テリー・ギリアム作品やギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』といった現実と空想を往来する構造の作品が好きなので、同ジャンルにまたひとつお気に入りが増えた感覚です。

私自身ネガティブな中学生だったもので、鑑賞中は反射的にホウスケたちに感情移入していたのですが、鑑賞後に反芻するうち、ケイくんの抱える虚無感もまた同時に本作の重要な要素だったと思えてきました。少数の身内に評価されるも一歩外の世界に出るとひどく貶されるホウスケに対し、大多数に慕われながら本当に理解されたい相手には受け入れてもらえないケイ(そして虚無ダルマ)…という2人の表現者の対比の物語なのかな、と。
予告編やあらすじの印象からどれほどブッ飛んだお話なんだと身構えていたので、ここまで明確な構造が提示されるとは思っておらず、作品のいろいろな部分に考えを巡らせています。独自解釈を繰り広げるだけの情報量がある作品(めちゃくちゃ好みです)でありながら、作中の詩の朗読のエピソードやうわべだけ理解の姿勢を示すケイの親衛隊のくだりなどから、どれだけ深読みされるかの実験なんじゃないかともいまだに疑っています笑
再度鑑賞したいですし、ティーチイン等で制作の意図をお伺いできる機会があれば嬉しいです。

京都府 20代 女性

カラーの部分はホウスケの描くユートピア(?)的なものということで、その非現実的な要素の表現は古典的ハリウッド映画にはあまり見られないものでとても面白かったです。
朗読をするようにトラウマ体験を話す女の子のシーンは、個人的にとてもよかったです。
再現が難しいシーンは静止画を使用したり等、一見チープになりそうなところも様々な工夫がされており、映画の世界観に入り込んだまま見ることができました。その編集技術が1番凄かったです。

モノクロのシーンは、学生の制服がとても映えており絵的な美しさを度々感じました。
分からない部分も多かったため、何度も見返してみたいと思いました。

東京都 50代 女性

沢山のメッセージが散りばめられていると感じました。 
今の小中高大生が慢性的な人間不信になっていて、これは異常な状態だと感じていて、天変地異が起きて世界が一変することを望んでいるだろうなと思いました。
いじめやいじめを傍観したり我れ良しの人間を作るために、戦後の日本の発展と共に、このような日本を作ったのだと思った次第です。マルヤマ君が一言も話さなかったこともインパクトを与えました。マルヤマ君が宇宙人の画家?の設定だったのかな?最後に一言何か語ってくれても良かったかな。次回作は続編でも、新作でも楽しみにしてます。
若い監督さんの感性に刺激を受けました。

京都府 50代 男性

現実と物語とが交差するところは(あるいは作り手の少年の妄想に過ぎないのかもしれないが)『ネバーエンディング・ストーリー』みたい、実写にアニメーションが挿入されるのは旧劇場版『エヴァンゲリオン』、『シン・エヴァンゲリオン』の逆パターンだな、などと考えながら観ていました。

現実パートのいじめの酷さやいじめる側の無自覚ぶりや勝手な正義をふりかざす様は、現実社会の嫌な部分そのままでした。
物語と現実とが混然となってクライマックスに突き進む様は見事だったと思います。
また、作品内容の感想とは異なりますが、新進監督のデビュー作やそれに近い作品をリアルタイムで観るという経験はそうそうあるものではないので、貴重な機会だったと思います。(例えるなら庵野秀明監督の『帰ってきたウルトラマン』を上映会で観たり、細川守監督の『時をかける少女』を劇場で観たりするようなものですね)
監督の新作や今後の遍歴がどのようになるか関心がありますね。

京都府 50代 女性

大変面白く鑑賞させていただきました!
実写のカラーのシーン、モノクロームのシーン、漫画、アニメーションと多層に織りなされたダークファンタジー。

登場人物も様々で、定食屋店員のもの静かなロシア系青年丸山、カリスマ的ラッパー虚無ダルマ、謎のカミカミ老人、詐欺師のようなブローカーのような弁護士、即切れする極右の兄弟、見た目は日本人だが実は米国からのスパイのヒットマン 等々···これらが全て中学生ホウスケが3冊に渡るノートに描いた漫画「虚無ダルマ」の中に棲む人々であることはストーリーの中盤に判ってくる。

この架空の地方都市は、虚無ダルマのカリスマにより支配され、閉塞感に満ちている。
そして、ホウスケたちの現実も、取り澄ました偽善者グループからのヲタクや転入生イジメが横行し、暴力と冷笑に満ちた嫌らしい世界だ。

こうして見ると、どこにも救いがないように見えるが、悪しき者のみを焼滅せしむる「ダルマ光」に大量のエネルギーを注入し炸裂させることにより、架空の都市に破壊をもたらし、善きもののみが生き生きと育まれる世界へと変革することこそがホウスケの描いたストーリーであり、同時にそれは現実世界をも変容させ、ホウスケは架空の世界から逃亡してきた丸山の自転車の後ろに飛び乗り、現実世界からの脱出を遂げる予感を以て終わるので、鑑賞後の気分は不思議にも爽やか。

まず、映像がとても綺麗でした。光と影のコントラスト。自然の風物のカット。
ワンシーン、ワンシーン、切り取ったとしても、どこも絵になるような感じが素敵でした。
ロケ地である金沢市、加賀市に行ってみたくなりました。
過激なシーンはあるけれども漫画やアニメーションに代替され、目を背けずに観ることが出来た点がとてもよかった。とても丁寧に描き込まれているし、画力も凄い!と思いました。

上映後のトークショーで「演技指導も特になく、ほぼ一発撮りで、バラバラ グダグダな断片を、どうやって作品にするのか?と思った」
と稲生さんが仰っていたのを聞き、保谷監督の天才を確信しました!
(演者がほぼ素人さんで、ここまで出来たのだから、一流の俳優陣を揃えて作ったとすれば、いかほど?!)

来春からの一般上映 「ぜひ、ご覧よ。面白いよ!」と友人知人に触れ回ります。
落ちつかれましたら次回作も。心の底から楽しみにしております。
今回は娘に誘われ参りましたが、観に来て本当によかったです。

京都府 50代 男性

この映画が京都でこんなに早く見れる!
もう楽しみでしかなかった。
バックボーンは詳しくわからないのに魅力的な登場人物の数々(呂布000カルマさんはラップバトル見てて「この人演技とかしないのかな?見てみたいな」と思ってたのでそれだけで激アツでした)役者ではない方達が逆に自然でいぃなとゆう感じが全体のイメージです。

現実と虚構、モノクロとカラー、どちらがどちら?とゆう不思議な感覚。カラーパートの一部をモノクロにしたり(その逆も)後半に虚実の境を無くす何か工夫があっても良いかも(具体的でなく申し訳ない)インサートされる無機物、生物、風景などが多いけれどうるさくなく、物語にもリンクしているようで...モノクロシーン全編通して画面に映る水も印象に残りました。過度な特殊撮影もなかったのでラストのアニメパートもおかしくはなかったです、ファンタスティックプラネットを思わせる雰囲気でした、宗教音楽っぽいBGMとかラップにしたらどうなんだろう?カラーでなくモノクロならどう見えるんだろう?
達磨光の後のモノクロパートをカラーにしてみては?
一度見ただけでは?なところがあるのが映画の楽しみのひとつ!ただし完成版としてでなく今後も成長してゆく作品であって欲しい!そう思います。

東京都 40代 女性

虚無ダルマが誕生するまでの物語、、奇妙な登場人物のやりとりにとても興味がそそられました。イチローとジローはどう見ても兄弟だった。よく揃ったなーあの顔の2人。
また場所が金沢で日本海側なので、ほんと人攫いや海外に臓器売買とかない話じゃないので、ますます恐ろしい。

中盤のモノクロのストーリーでは正直間延びした感じがあった。あぁ虚無ダルマはこの少年が描いた漫画のストーリーだったのかとも思ったけれど、そんなはずないかとも思ってしまう空気が漂ってしまったのは、舌足らずな口調の少年や、中学生の人間関係の異常さなんだろうな。もうどっちがリアルなのかどうかすらわかんなくなって、そしてそれもどっちでも良くなって、そこが面白かった。あの徘徊型爆弾とか考える少年とか、まじでやばいので、嘘であって欲しい。

しかしほんとに終盤のスケールのでかい怒涛の展開には声を上げずにはいられなかった。震えた。今まで予測してきたこと、自分なりに解釈して鑑賞ていたこと、やってきたことがもうどうでも良くなるくらい爽快だったし、最高だった。
見終えてからも何度も頭の中で反芻してニヤニヤしてしまう。
久しぶりにクレイジーでワクワクする映画を見れた気がしました。
家事、家のことも頑張ろうと思いました!

高橋達也(「漫画ゴラク」編集者)

カナザワ映画祭2021に参加した際に、ポスターをいただき、ポスターのビジュアルが魅力的だったので、一体どんな映画なんだろうとずっと思っていましたが、まさしくポスター通りの映画だったと思いました。ほぼ予備知識なしで観たのですが、巨大な観音様がモニュメントの虚無ダルマの支配する裏日本・K市で起こる暗殺計画と、いじめられる中学生、ふたつのストーリーが噛み合っていないようで微妙に噛み合っている。その噛み合わせ具合は観ていて絶妙なんですが、中学生パートはちょっと長いなと感じました。呂布000カルマのラップももっと欲しかったし、哲学的と言えば哲学的なのですが、人に説明しにくい映画になっていて、観た人にいろいろ委ねてしまう部分が多すぎるような気もしますが、もしかしてまったく委ねる部分などなく、単に理解出来なかっただけなのかも知れないなとも思いました。難解とそういう意味ではなく、とにかく一回ではよくわからないと言うのが正直な感想だし、また機会があれば「挑戦」したい映画でもありました。オープニングあたり、車で事故って、男が家に入るところの円形のグニャってしている映像が神懸かり的によかったなと思いました。

鈴木智士(翻訳家)

岩井俊二に観せてあげたいような、中2の脆さとむきだしの生が想像する、地方自治のいち形態としての虚無的ラップ・ファシズムを経て、ラストは無理矢理に悪人必滅=世界平和のメッセージにつながり……、と、もう正直わけがわからないので、そのわけのわからなさに惹かれて、あと2回くらい観る必要がありそうな映画だと感じました。
1点、終盤の観音の下での野外ライブのシーンは、人気のない地方のラッパーが背伸びして強行したようなスカスカ感だったので、ファシズム地方都市ということであれば、総動員であと50倍くらい人がいるとよかったかなと思いました。

「カナザワ映画祭の製作」という観点から考えると、本作で謎の老人役を怪演してみえる、稲生平太郎氏の小説『アムネジア』では永久機関が、稲生氏の「映画の生体解剖」のパートナーである、高橋洋監督の『恐怖』では生体実験が、それぞれ「満州」とつながりを持つというプロットを持っていることは、本作の世界とどこかでつながっているのだろうかと思わせるものがありました(プロデューサーの小野寺氏はどこか甘粕正彦に似てませんか?)。また、本作では巨大観音から放たれることになる「光」もまた、その2作とも共通するキーワードなのかもしれません。

にいやなおゆき(アニメーション作家)

とっても面白かった。ぜひ小中高校生に観てもらいたい。カルト映画扱いされそうな不思議な作品だけど。これは思春期の心に刺さって一生抜けなくなる、巨大な黄金の棘だ。学校に行きたくない貴方、いじめに悩んでる貴方、何もかもぶち壊してしまいたい貴方のための映画だ。

この映画の面白さを説明しようとしても「カルト宗教に支配された町に潜入した工作員と教祖一味の戦いに、旧日本軍の秘密兵器「ダルマ光」の争奪戦がからみ、さらにエリート生徒会長に支配された中学校での、いじめられっ子達のレジスタンスが引き金となり、全世界の破壊と浄化が始まる……」なんて粗筋を紹介したら、ますます意味がわからなくなりそうだ。映像的にもカラー、モノクロ、スチルムービー、マンガやアニメーションまで入り乱れて何でもありの満漢全席。ポスターやチラシには金色の巨大仏像にジェット戦闘機。明らかに観客を選びそうな作品に見えるけど、そんな事はない。 『宇宙人の画家』 ってタイトル、手塚治虫の『どおべるまん』かと思った。宇宙人から命令を受け、滅びゆく星の歴史を記録させられる絵描きの話。悲しくてユーモラスで恐ろしい傑作だ。でもこの映画の根本は僕が小中学生の頃大好きだった、やはり手塚治作品『三つ目がとおる』じゃないか。

古代人の超能力を持つ写楽保介は「科学文明によって自滅しそうな全人類を、脳味噌をトコロテンにする機械で「バカ」にして破滅から救う」と語る。まるで子供の落書きのような発想だ。『宇宙人の画家』でいじめられっ子のホウスケが描くマンガ『虚無ダルマ』も子供の落書きそのものでいじめっ子たちからバカにされまくる。しかしクライマックス、その子供の落書きが顕現し世界を覆い尽くして行く壮絶さはどうだ。前半、見事な技術で描かれるカルト教団との戦い。中盤、美しいモノクロで描かれる、切ない学園生活。それらをジャンピングボードにして、作者が仕掛けたクライマックスの荒技「脳味噌トコロテンアニメ」の衝撃。ここは是非大スクリーンで観て頂きたい。それは、前半中盤の周到な演出、撮照、音響、役者さん達の好演があってこそのトドメの凶器攻撃だ。しかし本作の根は『三つ目』だけではない。作者が意識したかどうかは知らないが、やはり僕が小中学生の頃に熱心に見ていたNHK「少年ドラマシリーズ」の『なぞの転校生』などのジュブナイルSFの世界。それらはいじめ、ファシズム、優生思想の戯画化だった。筒井康隆の『時をかける少女』など未だに根強い人気を持つが、精神的にも肉体的にも最も不安定で、何も信じられず、全てを疑い、何もかもぶち壊してしまいたい14歳前後のコンプレックスと、その裏返しのエリート意識を最も直截に物語化できたのが一連の学園SFだったのだ。#宇宙人の画家 はまさにそれらの正当な後継者であり、最もピュアな形で映像化に成功した作品だと思う。低予算の自主制作で、子役の人たちもいわゆる上手い演技ではないが、心情をそのまま棒読みさせる演技指導がSF学園ジュブナイルの戯画的世界に見事にはまり、逆に夫々の個性を光らせる結果になっている。ホウスケのマンガを糾弾するエンドウさんのニヤついた口調には感服した(たぶん先生のリアクションに本当に笑ってる)。

サチとナオミの長セリフの場面も、感情を込めた上手い演技だったら説明(調)台詞が浮いてしまうだろう。また、モノクロの画面を活かした風景の美しさも特筆ものだ。#宇宙人の画家 の美点の一つは、風や水や空の表情、小さな動物たちの姿が愛情を込めて写し込まれている事だ。暗い藪を舞う小さな蝶や、水面に覗くサンショウウオの可愛らしさ。小鳥たちの表情、風にそよぐ草、飛行機雲。なにより冒頭の雲間に浮かぶ月の美しさと禍々しさ。一見、本筋と無関係な自然物のインサートカットこそ、単調な時間を淀ませジャンプさせ「時間を操る」ものなのだ。通常の低予算映画では無視されがちな自然物のインサートカットがこれほど豊富に使われている事は、商業映画でも珍しい(ライブラリ映像からの借り出しもあるのだろうか?)。また、学園パートのクライマックスでのスチル(静止画)ムービー的演出。これはその後に控えている、アニメパートへスムーズにつなぐための呼び水だと思うのだが。スチル構成によってドラマを圧縮し、撮影の効率化にも成功している。☓☓☓☓の末路もCGや特撮で表現するだけの時間的、予算的な余裕もなかったのだろうが、スチル構成の効果により夢を見ているような、超現実的なイメージが生まれていると思う。

前半のカルト教団との戦いは、なんと言っても役者さん達の演技が見ものだ。『コワすぎ』の大迫茂生とシソンヌじろうの、イチロー・ジロー兄弟の掛け合いの素晴らしさ。どこまでもピュアに乱暴でバカな二人の演技が、小狡い弁護士や謎めいたマルヤマの存在を浮き立たせる。また稲生平太郎演ずる謎の老人も、カンペを斜めに睨む説明セリフが、ますます得体の知れないキャラを印象づける。演技のできるプロと、棒読み素人キャストの配置が絶妙なのだ。アクションシーンにしても、ワタナベが路地を駆け抜けながら子どもたちと銃撃戦を展開する場面。子どもたちは演技をしているわけではなく、モデルガンを渡されてニヤついているだけだ。しかし、それがカルト教団に洗脳された子どもたちに見えてくるから面白い。しかしそのためにはワタナベが本気で走りながら銃撃をしていなければならないわけで、ここでも場面の設定と、プロと素人の役者の配置が効果を上げている。

なんだか褒めてばっかりだが、低予算の自主映画でこれほど技法やキャストのさじ加減が絶妙な作品なんてまず無いだろう。『宇宙人の画家』という作品が成功しているとすれば、作者の力量は当然の事として、この現場のセッティングの見事さ、見切りの良さが第一の理由だと思う。

最後に一番気に入った台詞。大迫茂生演ずるイチローの「俺も死ぬかもな。でもよ、なんだかこの時のために生きてきた……って気がするじゃねえか」こんなベタな台詞がベタベタに語られて、それを愛おしく感じてしまう不思議。最初に「観客を選びそうな作品に見えるけど、そんな事はない」と書いたけど。『宇宙人の画家』という作品は、思春期の心に突き刺さる『三つ目がとおる』や『少年ドラマシリーズ』であり、「この時のために生きてきた」なんてベタな台詞が平然と語られてしまう、真っ正直で真っ当な映画なのだ。それは幼稚な理想論と破壊衝動を臆せず吐き出す事で、自分が自分として立ち上がるための通過儀礼映画とも言えるのではないか。そういえば、映画のキーマン、マルヤマは『地球に落ちてきた男』デヴィッド・ボウイを想起させる。やはり中学生の頃、学校の前の電柱に隣町の映画館のオールナイト上映のポスターが貼ってあって、それが『地球に落ちてきた男』だった。

なんだかエロい格好した妙な男が(田舎の中学生はデヴィッド・ボウイなんか知らない)緊縛されてるようなポスターで「これはポルノか?」と思ったが、数年後に大阪の名画座でやっと見ることが出来たのだ。変な話で何がなんだか分からなかったが、冒頭川の水を掬って飲むボウイと、最後、山積みになったテレビを見るボウイの姿は胸に刺さって未だに忘れられない。『宇宙人の画家』は、是非とも若い方々に観てもらいたいし、かつて『三つ目がとおる』や『少年ドラマシリーズ』に熱中した世代にも観てもらいたい。今どき珍しい、真っ直ぐな真っ当な、稀有な作品だと思う。